2008年1月22日火曜日

日本平スタジアム

住所
〒424-0926静岡県静岡市清水区村松字大谷3880-1
電話番号
054-335-5111


●アクセス
・JR「清水」駅より、しずてつバス「日本平運動公園」下車徒歩5分
・試合当日、JR「清水」、「静岡」、「東静岡」駅よりシャトルバス運行

2008年1月14日月曜日

澤登正朗


澤登正朗
愛称 ノボリ


国籍 日本
生年月日 1970年1月12日
出身地 静岡県富士宮市
身長 170cm
体重 66kg

血液型 B型


日本の元サッカー選手・サッカー解説者・サッカー指導者。現役時代はMFとして活躍、日本代表にも選ばれた。また、Jリーグの初代新人王でもある。東海大一高(現・東海大翔洋高)2年に選手権優勝。3年では準優勝。東海大学体育学部卒業後、1992年から清水エスパルスの草創期メンバーとして活躍。引退までエスパルス一筋13年間ゴールを決め続けた。

1996年から2000年までキャプテンとしてチームを牽引し1996年のナビスコカップ1999年のJリーグ2ndステージでチームを優勝に導く引退後はテレビや雑誌などでのサッカーの解説者として活動。


澤登といえばなんといってもFIFAワールドカップアメリカ大会のアジア地区一次予選最終戦・対UAE戦で決めたゴールである。UAEゴール前のクリアーミスを見逃さず右足で前方にトラップ、2度目の小さいバウンドが上がった所をペナルティエリア外側中央から豪快に右足を振りぬいたゴールである。自身ものこゴールを思い出のゴールに挙げている。


1992清水-試合0
1993清水-試合35得点7
1994清水-試合41得点7
1995清水-試合40得点13
1996清水-試合29得点9
1997清水-試合31得点11
1998清水-試合32得点10
1999清水-試合28得点9
2000清水-試合27試合3
2001清水-試合26得点9
2002清水-試合29得点3
2003清水-試合14得点2
2004清水-試合41得点1
2005清水-試合25得点1

通算-試合381得点85

2008年1月12日土曜日

クラブ概要



・クラブの概要 ホームページ(http://www.s-pulse.co.jp/
1991年Jリーグ加盟。ホームタウン静岡県静岡市(合併前は清水市)。ホームスタジアムは静岡市清水日本平運動公園球技場(日本平スタジアム、静岡市清水区村松。練習は三保グラウンド、静岡市清水総合運動場等を使用している。S-PULSEは「サッカー、清水、静岡」の頭文字Sと、サッカーを愛する県民・市民の胸の高鳴りとチームスピリットを表現するため、英語で「心臓の鼓動」の意味であるPULSEを組み合わせて、名づけられました。清水エスパルスのチームカラーは「エスパルスオレンジ」と名づけられた鮮やかなオレンジ色です。チームのホームタウンである静岡県は、日本でも有数のミカンの生産地であり、また喜び・希望・若さ・前進・元気などをイメージさせるこの色は、まさにチームを象徴するにふさわしい色となっている。


リーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」のひとつ。母体チームを持たず、静岡県出身者を中心にスカウトしてチームを編成した。

当初は地元出身の優れた選手達を補強し、特にDF堀池巧MF大榎克己FW長谷川健太の「清水東三羽烏」の地元への移籍は当時の清水サポーターを賑わせた。 また初代主将となる三浦泰年や新人選手としてMF澤登正朗などを補強し、その結果第1回Jリーグヤマザキナビスコカップ準優勝(1993年)を果たす。 その後もナビスコカップ優勝(1996年)、J1 2ndステージ優勝(1999年)、天皇杯優勝(2001年)など、数々のタイトルを獲得した。


・獲得タイトル

・ 国内
Jリーグ年間:0回(2ndステージ:1回 - 1999年
天皇杯:1回 - 2001年
リーグカップ:1回 - 1996年
スーパーカップ:2回 - 2001年※1、2002年
※1鹿島が2000年度のJ1天皇杯を優勝した為繰上げ出場

・ 国際
アジアカップウィナーズカップ:1回 - 2000年※2
※2天皇杯1998年度大会で優勝した横浜F横浜Mと合併したための代替枠出場

・個人別タイトル
Jリーグ
1999年 アレックス 最優秀選手(MVP)
ベストイレブン
1993年 堀池巧
1999年 真田雅則斉藤俊秀森岡隆三、アレックス、伊東輝悦澤登正朗
新人王
1993年 澤登正朗
1996年 斉藤俊秀
2006年 藤本淳吾
フェアプレイ個人賞
2003年 池田昇平
ナビスコ杯
1996年 サントス 最優秀選手、斉藤俊秀 ニューヒーロー賞